インド「ヨガのふるさとリシケシの旅⑬」シヴァナンダ・アシュラム、滞在2日目、ダルシャンの内容
もりのヨガのyokoです。
以前投稿したシヴァナンダ・アシュラム滞在2日目、ヨーガ研修でのスワミによるダルシャン(講義や質疑応答)の内容を、一部ですがもう少し詳しくお伝えしたいと思います。
2017年10月20日(金)リシケシ(シヴァナンダ・アシュラム)
9:00~10:00 スワミ・ヨーガスヴァルーパーナンダジ(スワミは出家僧、~ジは尊称)のダルシャンの抜粋です。
バガヴァット・ギーター第2章が重要
ダルシャンでの バガヴァット・ギーター のお話をお伝えしていきます。
第1章は、アルジュナが問題を抱えた「アルジュナの嘆きのヨガ」です。
第2章は、サーンキヤ・ヨーガ「アルジュナの落胆のヨガ」です。
第1章の戦いまでに13年要した。
戦場でアルジュナ (パーンダヴァ軍) がぶつかった問題とは何か、親戚同士が戦うのはいけないと、13年も準備し、戦うことになったのに何故戦うのを迷うのか・・・。
王国は無くなり、着る物も無くなった、 ドゥルヨーダナ (カウラヴァ軍 )は 「 (パーンダヴァ軍に) 針一点の土地も与えない」と言い、戦いは必然となった。
クリシュナは、アルジュナと乗っていた馬車を両方の軍(カウラヴァ軍、パーンダヴァ軍)の間に置いた。
アルジュナは、戦う相手に曽祖父や友人、親戚、恩師などがいるのを見て「戦いたくない」と考え始めた。
考え、緊張していく
緊張(テンション)、欲望の中のストレス、戦う事が義務としてのストレスにさらせれていく。
心とマインドの中のテンション、ハートは「皆を愛しなさい」と言うし、知性は「義務を行いなさい」と言う。
クシャトリヤ(政治や戦争を司る武士階級)としてのアルジュナは、戦う義務を考え、ハートでは敵軍に居る曽祖父や恩師を敬愛し考え、考えが止まらなくなる。
王国を取り戻したいという欲はある・・・
曽祖父や恩師と戦わなければいけない、戦う準備はしたけれど戦いたくない・・・
考えが止まらない・・・
考えず、どうやるのかがヨガ
第2章、カルマ・ヨーガ(行為の重要性を説いたヨガ)、人の義務は行為そのものにあり、結果にはないという教えが説かれている。
ギャーナ(ジニャーナ)・ヨーガ(叡智の道、真実を知る)があってこそ、カルマ・ヨーガをすることが出来る。
アルジュナは、幼い頃から友人だったクリシュナに「戦場ではあなたは私のグルです」と言って降参した。
アルジュナはクリシュナに「何が本当に大事な事か言ってください」そう言って身をささげたことで、アルジュナの心は静かになった。
その後クリシュナは、無私の行為の道(バクティ・ヨーガ)を説き、アルジュナの迷いを払拭していく。
私たちはアルジュナのように考えている
私たちの頭の中は、アルジュナのように、しゃべりまくって、考えまくっている。
過去や未来の事(悩み事や心配事)を行ったり来たり、時計の振り子のようにマインドが動いている。
振り子を止めればマインドも静かになる。
カップに水がいっぱいに入っていると、新しい水が入らない。
カップを空にしたら新しい水を入れられる。
心を空にすることをサマーディ・シュラインと言う。
上記、 2017年10月20日(金)ダルシャンから抜粋してお伝えさせて頂きました。
ヨガ哲学で生きやすく
私のヨガの学び始めは、初めて聞くカタカナの言葉や学びの膨大さに途方に暮れてしまいそうになった事がありました。
それでも学びを続けたいと思ったのは、小さな破片でもヨガ哲学に触れることで、心の扱い方が分からず生きづらかった部分が、少しずつ雪解けしてくように楽になる実感があったからです。
そして、数千年も前のヨガの知恵を、それはそれは沢山の人々が受け継いできてくれた壮大さに感動もしています。
「昔の人も心は同じだったんだな」「生きづらさを感じているのは自分だけでなないんだな」と感じて、大勢のサポーターが後ろで支えてくれているような安心した気持ちにもなっています。
ヨガクラス中にお伝えしている、頭の中を空っぽにしてリラックスする事の大切さに繋がるお話を、改めてインドのアシュラムでお聞き出来た事も嬉しく感じました。
頭の中を空っぽににすると、 無意識にとめどなく沸き上がる思考の波の揺れが小波になることで、 落ち着きや満足感、充実感などが得られ、日常生活の中で変化する外側の状況に触れまわされにくくなり、ストレスが軽減されリラックス効果などを実感してきます。
アシュラムで学んだヨガ哲学の欠片、お伝えさせて頂きました。
生きやすく、心が軽くなる気づきに繋がりますように・・・。
ここまで読んで頂きまして、ありがとうございました。
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