インド「ヨガのふるさとリシケシの旅⑲」シヴァナンダ・アシュラム滞在5日目、ハムサーナンダジのダルシャンの内容
もりのヨガ、yokoです。
2017年10月18日(水)~10月25日(水)までの8日間のシヴァナンダ・アシュラムでのヨーガ研修の様子を複数回に分けてコツコツ綴っています。
以前投稿したシヴァナンダ・アシュラム滞在5日目、ヨーガ研修でのスワミによるダルシャン(講義や質疑応答)の続きをお伝えしたいと思います。
2017年10月23日(月) ハムサーナンダジのダルシャンの内容
スワミ・ハムサーナンダジ(スワミは出家僧、~ジは尊称)のダルシャンでは「瞑想やキルタンは神様を思い出すためのプログラムです」「いつも心を神様で満たしなさい」「臨終の思いが生まれ変わりを決める」というお話をして頂きました。
※今回の神様という言葉に抵抗感がある場合、その性質(平和さや幸せな気持ちのエネルギー)をイメージして頂けたらと思います。何度も出てくるこの言葉、どう表現したらダルシャンの内容が伝わるのか試案、気づけばアシュラム滞在から5年が経過、そのままの言葉でお伝えすることに決めました。
いつも心を神様で満たしなさい
寝る前に神様の事を思い出すと、神様の考えが心に広がります。
いつも神様の事を想い、いつも心を神様で満たしなさい。
24時間神様の事で満されるように、いつも神様の事を考えていれば、最期の時も神様のこと思っていられる。
たとえ一瞬、他の事に気を取られそうになってもそれは打ち消される。
常に神様の事を思っていれば打ち消される。
良い匂いを嗅ぐのも神様が喜ぶ、美味しいものを食べるのも神様が喜ぶ、心地よい物に触れるのも神様が喜ぶ、このようにして常に神様で満たす。
身体は消えていくもの、いつどこで最後の時が来ても良いように準備をしないといけません。
そうすると最後ハッピーで心配をすることはありません。
臨終の思いが生まれ変わりを決める
誰しもが肉体を脱ぎ捨てる時に心で思うものに必ずなる。
どんなに悪行をしてきた人も、最期に神様の事を思うと悪事は帳消しになる。
どんなに良い行いをしてきた人でも最後に悪い事を考えるとその悪い方になる。
慈悲深い王様がケガをしていた鹿を慈悲の心で治療していて、最期の時に鹿の事を心配してしまったために、鹿に生まれ変わった。
下記、シヴァナンダ先生の本にダルシャンの内容の理解が深まる記載がありました。
我々は大いなる神を知らないために苦痛を快楽だと取り違えて毎日を過ごしている。内なる働きである心、知性、エゴ、潜在意識は、執着、憎しみ、怒り、嫉妬に囲まれているために地獄を作り出す。我々には生と死、老い、病気、悲しみから解放されるための努力が必要である。神への敬虔な親愛で苦悩から切り離され、心に平和が訪れる。心豊かに、幸せに生きていく上で欠かせない真実である。真実を知れば完全に満たされた状態を手に入れられる。
引用元: スワミ・シヴァナンダ著 小山芙美子訳・編(2019年)「ヨーガと空の科学」 ㈲東宜出版 113頁
アシュラム滞在から5年経て
私たちは身口意に渡って全てが良い行い、良い考えでないことが多々あります。
行動で悪い事をしていなくても、口で悪いこと言ったり、言わなかったとしても心で悪いこと思ったりすることがあります。
これが神様の事を常に想うという練習で神様というエネルギーの性質に触れると、悪いことを考えられなくなります。
私は車にインドのラクシュミーという神様の小さな置物を目立つところに置いています。
クヨクヨしても神様が目に入ると「はっ」として、気づいたら修正、心を平和な方向にコントロール出来るからです。
(アシュラムのラクシュミーの祭壇はこちら)
(車のラクシュミーの置物がこちら)
先日、旅行中に私の車を交代して運転していた友人が、仕事の人間関係の愚痴をこぼしていて、徐々に愚痴が悪口状態になり、そして怒りが膨らんで「この神様の置物邪魔!時計が見にくい!」とラクシュミーの置物に文句を言い始めました。
私が「あれ、とうとう神様にまで文句を言い始めた、よっぽど溜まっていたねー」と言うと友人が「あっ」と気づいて大笑いし始めて「本当だね、神様にまで当たり散らして」と二人で笑ってその空間に平和が戻りました。
(とは言え、運転席から時計は全く見えません、確かに見えにくい、友よごめん。)
心の中の緊張を手放して平和で満たす
ヨーガ以前の私は心の中心部が緊張(悩み事、トラウマ、ストレス)で埋め尽くされてように思います。
様々なヨーガの学びや経験を経て、トラウマに壮絶に向き合い解消し、心の中の緊張が無くなった時、ホッとしたのもつかの間、心の中心部にぽっかりと穴が開いてしまったような感覚になりました。
今まで緊張していたこの部分、この空間を何で満たすのか、答えはヨーガにありました。
今回のハムサーナンダジのダルシャンの内容や、引用したシヴァナンダ先生の本の内容と同様に、常に神様という性質(平和さや幸せな気持ちのエネルギー)に触れてその性質で心を満たし、心豊かに過ごす練習をすることと、ストレスや怒り、嫉妬などの不安や不満足のエネルギーに自動的に繋がらない(心に緊張を溜め込まない)練習をしてくことでした。
最期の時に限らず、色々あるからこそ、今、平和で、幸せに、心豊かに生きるために、常に神様という性質(平和さや幸せな気持ちのエネルギー)に触れる練習をすることをハムサーナンダジは伝えてくださったのだと感じています。
最期の時まで練習(実践)は続きます。
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